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飯碗と汁椀 展。

来月の5日から奈良のカウリさんで飯碗と汁椀展が始まります。
カウリさんはこの9月からお付き合いが始まり、初めての企画展です。
今回は私のつくり続けているシリーズを出展します。
そして飯碗だけでなく丼碗と豆皿、箸置きなどもチョコチョコっと。。。
秋の奈良町、散策がてらのぞきに来てくださいね。
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糸巻き飯碗。

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輪花豆皿。

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飯碗と汁椀 展
カウリ
奈良市鳴川町1 0742-93-9208
2012年10月5日(金)〜14日(日)
11:00〜18:00 会期中無休
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by domingosdomingos | 2012-09-28 22:22

自分の才能。

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昔、父がよく「若い奴は自分には才能があって、いつかそれが開花すると
変な期待ばかりしてるのが多い」と言っていました。
今から思えば私自身も身に覚えがあります。
作り手というのは頭の思考だけでは何もできません。
頭の思考というのは手に技術がないとおぼろげなもので、
まず具現化できません。
だからとにかく毎日手を動かすのです。しつこく、しつこく。。。
そしてそのうちに手に宿った技術が頭の思考と直結した時に
モノができるのだと思います。
そしてその作業には終わりがなく果てしなく続いていくものなのだと思います。
たくさんの事、人、苦悩、喜びを経験しながら。
その道のりもなく才能を信じるというのは、勇気もなく、努力もしたく
なかったんだろうなー。
そして才能とは他人が感じることで自分が感じることではない、
ということも知らなかったのです。





   
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by domingosdomingos | 2012-09-28 07:49

地下倉庫。

その日、僕は大きな緊張と少しの期待を胸に抱いて地下倉庫の
丸イスに座り、ギャラリーのオーナーが来られるのを待ち構えていた。
そう、とあるギャラリーに自分の作品を持って、飛び込みの営業に訪れた。
そしてそこで待っているように指示されていた。
しばらくして扉が開き、オーナーが入ってこられた。
そして傍らにある丸イスにどっかと座り、僕の方を見つめ
静かに切り出された。
「君は陶芸が仕事なの?」
「はい、そうです。」
「・・・・・・」
少しの沈黙の後、
「じゃあ、一体どういうつもりなんだ!」
「えっ?」
「汚い格好で、しかもアポもなしに来るんじゃねえよっ!!」
「・・・・・・」
「何か勘違いしてるんじゃねえか?仕事だろ?社会人だろ?
世間ずれしてんじゃねえよ!」
確かにそうだった・・・連絡もなしに急に訪れて、たくさんのお客さんが
買い物を楽しまれておられる中、空気も読めず
「すみませーん!」とやってしまった。
しかもヨレヨレのシャツとジーンズで。。。
「ま、いいや、せっかく来たんだから。どんなもの作ってんだ?」
その後はどんな話をしたのかも思い出せません。
オーナーの顔も見れず、ただただ耳たぶが熱かったのだけは覚えています。
仕事に対する考えの甘さ、いい加減さ。。。
今から約20年程前の話です。

その後何年か経って、再びそのギャラリーを訪れた。
オーナーは僕の顔を見てニヤッと笑い、
「久しぶりだなぁ、コーヒーでも飲みに行くか!」
と、オープンカフェに誘ってくださった。




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by domingosdomingos | 2012-09-19 06:29

引き出物。

時々お取引の器屋さんから結婚式の引き出物の注文があります。
結婚されるお2人、並びにご両家のお幸せのお手伝いをさせていただけますし、
また仕事的には数もまとまるしとても魅力的な仕事ではあるのですが、
反面作り手としてはとても恐ろしい、、、いやとても緊張感のある仕事でもあります。
それは当たり前なのですが、絶対に!絶対に!失敗が許されないからのなのです!!!
行く手にどんな失敗が待ち受けているのか。。。
調合ミス!窯の線が切れる!落雷!窯焚き最中の寝過ごし!骨折っ!!!!!!
ありとあらゆる災難が頭をよぎる。。。。。
しかし!だが、しかし!どんな言い訳も新郎新婦の幸せ満面の門出の前では
通用しないのだ!!!!!
昔は引き出物が決まると有頂天になり喜んでいたのですが、
よく考えりゃ、命綱のない綱渡り。。。
最近は引き出物の話をいただくと、とてもありがたいのですが、
同時に夢にまで出てくる失敗のプレッシャーとの戦いになります。
お取引のある器屋の皆様、このプレッシャーに弱い私目に、
どうか失敗してもいいように2回制作できるだけの時間を与え給え~。
アーメン。。。
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by domingosdomingos | 2012-09-17 00:25

何焼きですか?

「何焼きですか?」
この仕事をしてるとよく尋ねられます。
私のような個人はそういう事を意識せずに作陶しているのですが・・・・
しかしお客様のせっかくの質問を、
「いや、何焼きでもありません!!」
と、無碍にもできず、
「生駒山麓焼きです!」
いやいや産地捏造は言語道断!!
「これはタカシマ焼きなのです!!」
・・・と、オレ流を貫くのもちょっと・・・・・・
日本には100以上の焼き物の産地があるらしく、
代々その産地で伝統の技法を継承しているならともかく、
祖父が瀬戸焼(愛知県瀬戸市)の家に生まれ、
京都に移転し京焼を作っていて、親父は作家でオブジェをつくり
私は奈良で作陶している・・・・

「私はまさにお好み焼きミックスなのだ!!!」

などとは言えないな~。
説得力不足がこの事態を招いているのでした。。。



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by domingosdomingos | 2012-09-11 13:20

ここに至るまで。最終話。

前回までのあらすじ。
快調に仕事をするも、経営難を前に焼け石に水!!
父との口論の末、いにしえの都奈良に逃避行!
卸会社社長のご厚意により仕事を続けられる事に。
しかし父にガンが発症。
どうする?高島大樹!!


疎遠になっていた父のガンの発症の報を受け、滋賀の病院に
病状を見舞いに行きました。
そこで医師から末期ガンであると告げられました。
父は私が滋賀を出てから家を失い、人の窯を借りてジャズの絵の陶板等の
作品を作っていたようです。
父に奈良で一緒に仕事をしようと励まし、父もそれを楽しみに頑張っていたのですが、
その1ヶ月半後、帰らぬ人となりました。

そしてその2年後貸していただいた工房を出て、2004年奈良県生駒市に
工房を持つことができ、今に至ります。

これまで長々と書き連ねてきましたが、これが陶芸を始めてからの
私が過ごしてきた風景です。
ここに書ききれなかった人との出会いや、優しさ、衝突、喜び、やるせなさ、わだかまり
色んなことがありました。
この風景が陶芸を生業とさせてくれたのだと確信しています。
この仕事を通して私はちゃんとした人間になりたいと願い、日々作り手として、
手を動かしていきたいと思っています。

長々と書き綴りました。
ありがとうございました。。。
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次回からは仕事の様子や、作品、展覧会情報、面白く思った事、などを
載せていきたいと思います。。。
乞うご期待!!
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by domingosdomingos | 2012-09-07 22:23

ここに至るまで。その5

前回までのあらすじ。
湖国滋賀に移転した高島大樹。
先が見えぬ毎日であったが、父の一言で仕事に目覚める。
その一方、会社の台所は火の車。
近畿の水がめ琵琶湖をもってしても焼け石に水!!


その頃に父から会社の慢性的な経営難を告げられました。
私が知らない間にそんな事情になっていたのです。
とにかく私のできる事は手を動かす事です。
やることはすべてやるつもりで休む事なく手を動かしました。
問屋仕事、陶芸教室、即売会、等々。。
とにかく手を動かす、動かす、動かす。。。。
この体験は貴重なものとなりました。
作れど作れど支払い、返済にしかならないのですが、
自分の物が売れている事に価値を見いだせたのが自分への
励みになりました。
不休で激烈に働いた時期が約3年続いた頃、父と些細なことで
口論となり、その口論が感情的になりました。
生活の苦しさが家族を疲弊させていたのです。
私は家を飛び出しました。
そして向かった先は以前お世話になった奈良の茶道具卸会社だったのです。
無我夢中で社長に事情を話すと、
「それはもう何ともならんなぁ。よし、工房を無料で貸したる。
そのかわり5年で自分の工房を持て。ほんで親父さんを呼んだれ。」
信じられないような社長のご厚意により、また仕事が続けられる事と
なりました。会社の方からも仕事をいただき、そして、器店とのつきあいも増え、
仕事は順調に進みました。
4年が過ぎそろそろ自分の工房の事を考え始めた頃、
父にガンが発症したとの知らせが届きました。


今回はここまで。。。次回につづく。。。
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by domingosdomingos | 2012-09-05 23:36

ここに至るまで。その4

前回までのあらすじ。
父の元で働くことになった高島大樹。
仕事の傍ら、毎日飲み屋→外泊のルーティーン。
バブルがはじけ会社の経営状態が悪化。
都落ちの危機をむかえる。


結局、京都の家を売り払い、家族、工房共に湖国滋賀の比良山系の
中腹に移転。
その頃の私は作るという仕事が何なのかわからず悶々とする日が続きました。
そんなある日父が私を京都の料亭に連れて行き、静かに聞いてくれました。
「お前どうしたいんや?」
「・・・・・・」
「なんか悩んでんのか?」
「・・・僕な、陶器やめたいんや・・・・・」
「そうか・・・そしたら何がしたいんや?」
「・・・・・・」
「お前な、陶器の仕事、どんだけ真剣にやったんや?」
「・・・・・・」
「何をしたいんか知らんけど、真剣にならな何しても一緒やで。」
父に完璧に見透かされていました。
作るという仕事に真剣に向き合っていなかったのです。
そしたらどうしたらええんや?どうするんや?どうしよう?
よし!売ろう!自分が何を作っていいのかわからなかったら
とにかく何でも作ってなんでも売ろう!
そして問屋の門をたたく事にしました。
初めての見本を問屋に持ち込んだところ
「高島君、こんなん売れるんか。。。?まぁ見本市もあるし、
ほな、一回預からしてや。」
そして見本市が終わり、問屋から電話がありました。
「高島君!評判良かったで!注文もなんぼかもろたわ」
心の中で握りしめるコブシ!
自分の目の前が少し開けた瞬間でした。
その後問屋との付き合いは順調に進み、父の仕事より自分の仕事の
割合が多くなってきました。
しかしまたもや行く末に暗雲が・・・・というより実は滋賀県に移っても
会社の台所はずっと火の車状態だったのでした。。。
バブルの崩壊は思った以上に重く、我々にのしかかっていたのです。。。


今回はここまで。。。次回に続く。。。



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by domingosdomingos | 2012-09-04 07:43

ここに至るまで。その3

前回までのあらすじ。
製陶所のボンボンである高島大樹。その立場を利用し,
まんまと陶工訓練校に入り,甘い考えのまま、今度は
奈良に就職。そこにかかってきた父からの帰洛要請。。


父からの電話は職人の退職によって仕事が廻らなくなったとの事。
要請を受け京都に帰り、父の元、ろくろを担当することになりました。
時代はバブル。来る日も来る日もろくろ!ロクロ!!轆轤!!!
早朝テニス→昼間仕事→夜飲み屋→外泊→早朝テニス。。。
というスペシャルルーティーンも出来上がりまさにボンボンバブル。
そんな頃訓練校の同期たちはグループ展、早い者は個展、と着々と
自分の目標に向かってがんばっていました。
私もちょくちょくグループ展に誘ってもらったのですが、何を作っていいのか
わからず、オブジェもどき、器もどきを作ってみるのですが全く売れず、
売れている友達を斜め見し、やっかみ、屈辱、等々の卑屈のオンパレード。
ネガティブを抱え悶々としておりました。

いよいよバブルに陰りが見え始め、注文量が激減。
会社の経営状態の事は知らなかったのですが、
父の横顔をそっと覗きこむ回数もだんだん増えていきました。
そんなある夜、別棟で一人暮らしをしている私の所に父が来て
いったのです。
「もうここにはいられへんな~」
「どうすんの?」

「ちょっとお前に見てほしいところがある。」
後日父と車を走らせた先は、湖国滋賀県。
比良山系の中腹の別荘開発された土地でした。

「京都出よ。」

え! ちょっと前に京都帰ってこい言うたん親父やん!!
こ・こんな山ん中で!?
ど・どうなる?


a0284133_13425791.jpg今回はここまで。。。次回に続く。。。
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by domingosdomingos | 2012-09-03 13:48

ここに至るまで。その2

前回までのあらすじ。
京都の製陶所に生まれた高島大樹。
ボンボン生活を堪能していたある日、大学から卒業危惧の
非情な通知が届く!!
いったいどうなるのか!?

大学からの通知を受け、留年を回避すべく1回生ばりの
受講を続け、なんとか卒業をむかえたのですが、就職活動も
ままならず、今度は就職浪人の危機を迎える。
自分の行く先で思案に暮れる私に父が「訓練校行ったらどや?」
そう、陶芸界の虎の穴、京都府立陶工訓練校の事です。
(現在の京都府立陶工高等技術専門校)
渡りに船。。。京都の製陶所の息子なら優先で入校できるという
甘い考えで入校を決めました。
しかし訓練校は甘くありませんでした。
他の人達は入校試験の高い倍率をくぐりぬけ、真剣そのもの。。
職人を目指す者、作家を志す者。。
何の目標もなく入校した私にはショックでした。
じゃあ、イッチョ頑張るか!!!しかしその誓いも虚しく生来のボンボン癖が
抜けきれぬまま1年が過ぎ、
またもや甘い考えのままに今度は京都市立工業試験場窯業科に
進みました。工業試験場でも、のほほ~んと1年が過ぎ、
いよいよ追い詰められ就職活動をせざるを得なくなりました。
そこで選んだのが奈良の茶道具卸会社の製造部だったのです。
無事就職をし、3年a0284133_13274839.jpg目を迎えたある日、父から一本の電話がありました。
「京都に帰ってこい。」


今回はこのあたりで。。次回に続く。。。
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by domingosdomingos | 2012-09-02 13:32